村山浅間神社【富士宮市】


村山浅間神社(2015年8月12日)

観光名所
又は、
スポット名
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)
地域 静岡県 東部地方
住所 静岡県富士宮市村山字水神1151
駐車場 有り(参拝者用駐車場)
備考 神社の境内地という神聖な場所でもあります。
節度ある行動を心掛けましょう。
※記載情報が古い場合がございます。予めご了承ください。

一口メモ
・世界文化遺産「富士山」構成資産の1つになっている神社です。

(参考Webページ)村山浅間神社│Wikipedia(ja.wikipedia.org/wiki/村山浅間神社)

静岡県富士宮市の位置図
Google map

世界文化遺産「富士山」その構成資産の1つになってる「村山浅間神社」は、市街地からだいぶ離れた場所に鎮座(※1)しています。
(※1)鎮座(ちんざ:神霊が一定の場所にしずまっていること)

主祭神(しゅさ いじん)は、浅間神社の総本山「富士山本宮浅間大社」と同じ神様(※2)です。
(※2)「木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)」、一説には、木の花(=桜の花)が咲く様に美しい女神とされています。

それから、村山浅間神社への道のりは、地元の人でないと、なかなか道がわかりにくいと思います。
なので、カーナビのチカラを借りたり、市販地図を確認しながらでないと、辿り着きにくいのが難点です。

まずこちらは、村山浅間神社への曲がり口の様子です。

富士宮市や隣接している富士市中心市街地からは、だいぶ北側(富士山側)に位置している浅間神社です。

目標物がなく、説明が難しいのですが、 国道469号線沿いに設置してある誘導看板を北側(富士山側)に曲がってすぐのところです。

ちなみに、地元では国道469号線をヨン・ロク・キューとか、南麓(なんろく)道路と呼んでいます。
村山浅間神社への曲がり口の様子(矢印で示しています)(2015年8月12日)


ここからは、「村山浅間神社」の境内風景をお伝えしていきます。
まずは、社殿下の手水舎(※1)です。
(※1)手水舎(ちょうずや、ちょうずしゃ:参拝者が手を洗い、 口をすすいで身を清めるための場所)
村山浅間神社の手水舎(2015年8月12日)


そして、社殿へと続く参道階段。
村山浅間神社の社殿へと続く参道階段(2015年8月12日)


ご紹介遅れましたが、 村山浅間神社「鳥居」が厳かに立っています。

村山浅間神社は、 世界文化遺産として登録された「富士山」構成資産の一つとして、地元富士宮市だけでなく、たくさんの人たちに親しまれている存在です。
村山浅間神社「鳥居」(2015年8月12日)


右下の写真は、富士山の構成資産を表した案内図です。

矢印の辺りが村山浅間神社で、丸で囲んだところが富士山です。

富士根本宮と号する「村山浅間神社」は、富士山のだいたい南側に位置しています。
村山浅間神社などの富士山の構成資産を表した案内図など(2015年8月12日)

そしてこちらが「村山浅間神社社殿」です。

主祭神は、木花開耶姫(コノハナノサクヤヒメ)。
こちらの神様は、富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)の主祭神にもなっています。

ちなみ、主祭神「コノハナノサクヤヒメ」は、木の花(=桜の花)が咲く様に美しい女神だと云われます。

村山浅間神社は、 富士山の構成資産になっていることからも、富士山信仰の神社といえますが、 浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)のほとんどが、 富士山に対する信仰の神社といわれています。
村山浅間神社社殿(2015年8月12日)


続いては「富士山興法寺大日堂」です。

かつて古くは、富士山の修験道(※1)拠点の地として発展した「興法寺」。そして、富士修験道者の聖地として賑わいをみせたと云います。
(※1)修験道(しゅげんどう:山へ籠もって厳しい修行を行い、悟りを得ることを目的とする山岳信仰)

また、保存修理工事が行われ平成27年3月に完了しています。
村山浅間神社境内に鎮座する富士山興法寺大日堂(2015年8月12日)


こちらは、境内にある御堂。
村山浅間神社の御堂(2015年8月12日)

続いては「氏神社」へと向かう参道風景です。

氏神社は、村山修験の開祖「富士上人末代」をお祀りしている神社です。

また、氏神社社殿へと向かう参道脇には、巨木が立ち並んでいます。

ドッシリと構えている巨木の数々。そして、静寂という雰囲気が相まって、訪れるたび、厳か気分を味わっている自分がいます。
村山浅間神社境内に鎮座する「氏神社」へと向かう参道風景(2015年8月12日)


氏神社社殿へは、このような感じの参道を歩きます。

なかなかの急傾斜ですよ。
村山浅間神社境内の急傾斜の参道の様子(2015年8月12日)


そしてすぐに到着です。

社殿へと心を込めてお参りしています。
村山浅間神社境内に鎮座する氏神社社殿(2015年8月12日)


(以下、現地説明板より)

氏神社

村山修験の開祖「富士上人末代」は、「役ノ行者」修法を継ぎ幾百回の登頂を成し、頂上に大日寺を建て、山岳仏教の基礎を固め、自ら「大棟梁権現」と号し、村山の地にて即身仏となって当山の守護神となった。

当社はその霊を祭り、氏神社として氏子の信仰厚く、高嶺聡鎮守と称する。
村山浅間神社境内に鎮座する氏神社の現地説明板(2015年8月12日)

場面は変わりこちらは、御神木に指定されている静岡県指定の天然記念物「イチョウの木」。

樹高は約16m。
巨木は、ドッシリとした安定感があり、そして安心感があります。

その昔、イチョウの気根を乳房に見立て、先端に針を刺して母乳の出を祈願していたと伝わるイチョウの木です。
現在は、イチョウ保護の為だと思われますが、フェンスが設置されています。村山浅間神社境内に鎮座する御神木に指定されている静岡県指定の天然記念物「イチョウの木」(2015年8月12日)


(以下、現地説明板より)

村山浅間神社のイチョウ

県指定 天然記念物
指定年月日 昭和四十三年七月二日
樹高 十六メートル
目通り 九.二メートル

 イチョウの老樹で「乳」と呼ばれる大きな気根(乳状下垂)の発達が著しい。

 その数は約七十、最大のものは径三十センチ、長さ二メートルに達している。

 地元では「乳」の先端に針をさすと、妊産婦の乳が出るようになると言われている。

 またウロの中には以前大日如来がまつられていたといい、今でも祭りのときはしめ縄をはる。

静岡県教育委員会
富士宮市教育委員会
村山浅間神社:現地説明板(村山浅間神社のイチョウ)(2015年8月12日)


こちらは、御神木指定証。

平成元年三月一日。
村山浅間神社:御神木指定証(村山浅間神社)(2015年8月12日)

続いては、推定樹齢1000年という静岡県指定の天然記念物「大スギ」。
こちらは、樹高約47mもあります。
村山浅間神社境内に鎮座する静岡県指定の天然記念物「大スギ」(2015年8月12日)


そして、威厳高くそびえ立っています。

とてつもない長い歴史を重ねた巨木のパワー。必死に感じ取ろうとしていました。
村山浅間神社境内に威厳高くそびえ立つ(2015年8月12日)


(以下、現地説明板より)

村山浅間神社の大スギ

県指定 天然記念物
指定年月日 昭和三十一年五月二十四日
樹高 四十七メートル
目通り 九.九メートル
樹齢 推定10000年

 村山浅間神社の御神木と称される巨木である。

 樹勢は盛んであるが、中心部に高さ八メートルにおよぶ大きな空洞があり、そのためか近年南側の枝に衰えが見えてきた。

 境内の多くの杉の中で最大のもので、いつの頃か、だれかれとなく大スギと呼ばれ、人々に親しまれている。

静岡県教育委員会
富士宮市教育委員会
村山浅間神社:現地説明板(村山浅間神社の大スギ)(2015年8月12日)


続いてこちらは「護摩壇(ごまだん)」。

「護摩は山伏(修験者)の重要な修行の1つで、富士山へ修行に入る時や終わった時、護摩を焚いた」

(説明看板より)

(参考Webページ)護摩(ごま)|Wikipedia(ja.wikipedia.org/wiki/護摩) 村山浅間神社の護摩壇(ごまだん)(2015年8月12日)


そしてこちらは「水垢離場(みずごりば)」。

水垢離とは、「神仏に祈願する前に,水を浴びて身を清め、穢(けが)れを取り除いて心身を清浄にすること。禊(みそぎ)や滝行など」

(辞書より)

(参考Webページ)垢離(こり)|Wikipedia(ja.wikipedia.org/wiki/垢離)
村山浅間神社の水垢離場(みずごりば)(2015年8月12日)


こちらは、1860年に初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックが外国人として初めて富士山登頂を果たし、それから150周年(2010年時点)を記念し建立された記念碑です。
村山浅間神社境内に立つ1860年に初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックが外国人として初めて富士山登頂を果たし、それから150周年(2010年時点)を記念し建立された記念碑(2015年8月12日)

そして、(外国人として最初に富士山へ登った)ラザフォード・オールコック著書「大君の都」の中での言葉が書かれた石碑です。

日本の宝でもある美しい富士山。オールコックは、 そんな「富士山の美しさ」を世界に向けて発信した外国人でもあります。
村山浅間神社付近のラザフォード・オールコックの言葉が書かれた石碑(2015年8月12日)

ここから7つは、ヒガンバナ時期の境内風景をお伝えいたします。

天候に恵まれたこの日だったことで、ヒガンバナの赤色がより強く印象に残りました。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市)(2020年10月 2日)


こちらは、上記の彼岸花景色を別角度からお伝えしています。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期1(2020年10月 2日)


見頃を過ぎた箇所も所々ありました。が、見頃真っ只中の彼岸花景色も印象に残った境内風景です。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期2(2020年10月 2日)


この日は境内へと訪れている人が一人、二人、しばらくして、また一人と。
次から次へ、というとオーバーな表現ですが、参拝者の人たちの姿がありました。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期3(2020年10月 2日)


こちらは、上記の彼岸花景色を別角度からお伝えしています。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期4(2020年10月 2日)


秋の彼岸時期を象徴する花「彼岸花」ですが、曼珠沙華(マンジュシャゲ)と呼んだほうがなじみ深い方もいるかと思います。

ちなみに、曼珠沙華はインドの仏教伝説に現れる天界の花と云われているようです。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期5(2020年10月 2日)


今回は、村山浅間神社の彼岸花景色をお伝えいたしました。
村山浅間神社の彼岸花(富士宮市):見頃時期6(2020年10月 2日)


ちなみに、こちらの村山浅間神社ですが、その歴史は古く、現在地へと鎮座したのが西暦701年と云われ、
それより以前の西暦紀元前474年(第5代孝昭天皇2年)に富士山中腹に創建されたと伝わります。

富士山を信仰の対象としている「村山浅間神社」ですが、元々は富士山興法寺(※1)を構成する1つで、江戸時代までは、多くの修験者(※2)の信仰の中心地として仰がれ、多くの修験者が集まってきたといいます。
(※1)富士山興法寺(ふじさんこうぼうじ:富士山の村山修験における中心地)
(※2)修験者(しゅげんじゃ:山伏ともいい、山にこもって修行する人)

それから、時代が明治へと入り、修験道の廃止令によって以前の賑わいはなくなってしまいました。

同じく静岡県富士宮市に鎮座している富士山本宮浅間大社と比べると参拝客の数は少なく、どことなく静寂な雰囲気に包まれています。

富士山のお膝元の街「富士宮市」村山に鎮座する「村山浅間神社」。市街地から離れているため、訪れている人の数は多くありませんが、落ち着いた雰囲気の中で、御神木の大樹を神聖な気持ちで見上げていました。


村山浅間神社(2015年8月12日)


神社の境内地という神聖な場所でもあります。
節度ある行動をお願いします。