三嶋大社【三島市】


三嶋大社(2017年 4月 4日)

観光名所
又は、
スポット名
三嶋大社(みしまたいしゃ)
地域 静岡県 東部地方
住所 静岡県三島市大宮町2-1-5
駐車場 有料( 交通アクセス・駐車場|三嶋大社
トイレ 有り(参拝者用境内トイレ)
交通アクセス ・三島駅(JR東海道新幹線、東海道線)から徒歩にて約20分
・三島田町駅(伊豆箱根鉄道)から徒歩にて約15分
備考 大社の境内地という神聖な場所でもあります。
節度ある行動を心掛けましょう。
※記載情報が古い場合がございます。予めご了承ください。

一口メモ
・鎌倉幕府を開いた偉人「源頼朝」。その偉大な人物も縁起を担いで参拝したと伝わる歴史ある格式高い神社です。

(参考Webページ)三嶋大社(http://www.mishimataisha.or.jp/)

静岡県三島市の位置図
Google map

伊豆国一宮「三嶋大社」は、三島市中心市街地に鎮座(※1)しています。
(※1)鎮座(ちんざ:神霊が一定の場所に鎮(しず)まっていること)

ちなみに伊豆国(いずのくに)とは、昔の行政区分の名称で現在の伊豆半島あたり。そして、一宮(いちのみや)とは、その地域の中で社格が高い神社のことをいいます。

そして、大山祇命(おおやまつみのみこと)。積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の2柱(※1)を祭神としてお祀りしている神社です。
(※1)柱(神様は1柱、2柱という様に、柱(はしら)と数えます)

こちらの2柱の神様は、三嶋大明神(みしまだいみょうじん)。または、三嶋大神(みしまのおおかみ)と総称されます。

こちらは、境内案内図です。

三嶋大社は、たくさんの人たちが参拝に訪れる県内観光名所です。
三嶋大社の境内案内図(2017年 4月 4日)

こちらは、参拝者用駐車場と参拝者用トイレの風景です。

訪れたこの日も、たくさんの人たちが境内を訪れていました。
三嶋大社の駐車場と境内トイレ(2017年 4月 4日)

まずは、ソテツと「淡島神」をお祭りしている風景からお伝えします。

参考に「淡島神(あわしまのかみ)」については、コチラ(ja.wikipedia.org/wiki/淡島神)をご覧下さい。 三嶋大社にて、鎮座するソテツと「淡島神」(2017年 4月 4日)

こちらは、「神池(しんち)」です。

 天長四年(八二七)神池の水が渇れ天下大旱し神官の訴えにより朝廷は三嶋神殿に於て澪祭(雨乞)を行わしめた

 六月十一日から十五日まで大雨が降る

 時の帝は当社に圭田を寄せ神官に禄金財帛を賜った

(類聚国史)

 元暦二年(一一八五)八月源頼朝は、神池に於て放生会を行いその際、糠田郷・長崎郷を三嶋社の料と定めた

(吾妻鏡)
三嶋大社にて、鎮座する神池(しんち)と鯉(2017年 4月 4日)

続いては、本殿へと続く参道途中に鎮座する「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」です。

祭神 市杵島姫命(天照大御神の御子神)

 北条政子が勧請し殊の外信仰したと伝えられる当社は家門繁栄・商売繁昌・安産・裁縫等の守護神として広く信仰されている
三嶋大社にて、鎮座する厳島神社(いつくしまじんじゃ)(2017年 4月 4日)

こちらは、「総門(そうもん)」。

(現地説明板より)

外構えの門

建築中伊豆震災にあったが昭和六年三月竣功
初めて台湾檜が使用された
昭和の神社建築の代表的建物の一つに数えられ格調の高さは有名である
当時の内務省神社局技師角南隆氏の設計監督である
(総工費当時約七万円)
旧総門は一部改修して芸能殿として保存
三嶋大社の総門(そうもん)(2017年 4月 4日)

「源頼朝 北條政子 腰掛石」

 治承四年五月源頼朝が平家追討の心願を込めて百日の日参をした折、腰を掛けて休息したと伝えられる

 右側は北條政子の腰掛けた石である
三嶋大社の源頼朝、北條政子腰掛石(2017年 4月 4日)

こちらは、「手水舎(※1)」です。
(※1)手水舎(ちょうずや、ちょうずしゃ:参拝者が手を洗い、口をすすいで身を清めるための場所)
三嶋大社の手水舎(2017年 4月 4日)

「神馬舎(しんめしゃ)」。

 神馬は、慶応四年七月十日完成旧神馬舎に納められていたが、戦後現在の神馬舎が完成し移したものである

 古くから当社の神馬は毎朝、神様を乗せて箱根山に登ると言う伝説があり、旧神官はお馬様が帰ったと言って朝食にしたと伝えられ子供の成長と健脚を祈る風習がある
三嶋大社にて、鎮座する神馬舎(しんめしゃ)(2017年 4月 4日)

「矢田部式部盛治(やたべしきぶもりはる)大人銅像」。

 嘉永七年(一八五四)十一月の東海大地震で倒壊した社殿を十年の歳月と壱万六千六百七十七両と言う巨費を投じて見事に復興し、

 明治維新は大総督宮の先導警護及び明治天皇の御通行警護を奉仕し、祇園山腹にトンネルを掘り上流から水を引いて、祇園原の荒地十五町歩余りを美田と化し、佳民の感謝敬慕の念により昭和二十九年建立された

作者は、文化勲章受章者 澤田政廣氏
三嶋大社にて、鎮座する矢田部式部盛治(やたべしきぶもりはる)大人銅像(2017年 4月 4日)

「芸能殿」。

 安政の東海大地震の復旧工事で時の神主矢田部式部盛治により、慶応四年二月十一日に完成した旧総門で、昭和五年の伊豆大震災後現在の総門が落成したため、一時他に移したが戦後再建し、一部改造の上芸能殿として保存している
三嶋大社にて、鎮座する芸能殿(2017年 4月 4日)

「宝物館(ほうもつかん)」。

(参考Webページ)三嶋大社収蔵宝物・文化財 宝物館|三嶋大社(http://www.mishimataisha.or.jp/treasure/important.html)
三嶋大社の宝物館(ほうもつかん)(2017年 4月 4日)

「神門(しんもん)」。

1867年(慶応3年)8月10日竣工の門で、昭和41年2月7日に三島市の指定文化財に指定。
三嶋大社の神門(しんもん)(2017年 4月 4日)

三嶋大社の「薄黄木犀(うすきもくせい)」は、推定樹齢1200年以上と云われ、1934年(昭和9年)に「三島神社のキンモクセイ」の名称で国の天然記念物に指定されました。

「天然記念物三嶋大社の金木犀」

樹高 約10米 目通り周囲 約4米
枝縁 約二百五十平方米

 昭和九年五月一日、文部省告示第一八一号により、文部大臣から国の天然記念物の指定を受けた学名を薄黄木犀という

 九月上旬より中旬にかけ黄金色の花を全枝につけ、再び九月下旬より十月上旬にかけて満開となる珍しい老木で、樹齢凡そ壱千弐百年、幾百星霜干魃や霖雨に堪え、又は風雨に侵されるも樹勢尚旺盛にして葉の光澤も美しく、新緑に輝き誠に神々しい御神木で、日本一のキンモクセイである

 開花時には、馥郁たる芳香を放ち、風向きによっては一〇粁に及ぶという

注意
一、柵内に立ち入らないこと
一、枝に触れないこと
一、其の他 モクセイを傷つけないこと
三嶋大社の「薄黄木犀(うすきもくせい)」(2017年 4月 4日)

こちらは境内にあるお社(やしろ)です。

それぞれ「小楠社」、「第二社」、「酒神社」、「飯神社」、「船寄社」。
三嶋大社にて、鎮座する「小楠社」、「第二社」、「酒神社」、「飯神社」、「船寄社」(2017年 4月 4日)

「舞殿(まいどの)」。

 古くは祓殿と呼ばれ神楽祈祷を行ったが後には主として舞を奉納したので舞殿と呼ばれるようになった

 現在は舞のほか、田打ち神事(県無形文化財)、豆撒き神事、鳴弦式神事などの神事の他、祈祷等も行う

 慶応二年十二月十八日の再建で昭和五年の伊豆震災の復旧工事まで一部改修を行ったものである
三嶋大社の舞殿(まいどの)(2017年 4月 4日)

「高野槇(こうやまき)」。

池田厚子様御手植
悠仁親王殿下御印
平成一八年十一月

(参考Webページ)高野槇|Wikipedia(ja.wikipedia.org/wiki/コウヤマキ)

(参考Webページ)池田厚子|Wikipedia(ja.wikipedia.org/wiki/池田厚子) 三嶋大社の高野槇(こうやまき)(2017年 4月 4日)


そしてこちらが、三嶋大社「御本殿」です。
三嶋大社の御本殿(2017年 4月 4日)


 嘉永七年(一八五四)十一月四日の東海大地震に社殿工作物悉く倒壊し、時の神主矢田部式部盛治が十年の歳月を費やし、総工費壱万六千六百七十七両余りの巨費を以て、慶応二年(一八六六)九月九日完成させた総欅造りの豪壮なもので、関東随一を誇り、周囲の彫刻も又比類ない傑作である

 其の他の社殿も慶応四年九月相次いで完成

三嶋大社の「本殿(ほんでん)」、「幣殿(へいでん)」、「拝殿(はいでん)」は、平成12年に重要文化財指定を受けています。
三嶋大社の社殿説明板(2017年 4月 4日)

三嶋大社の拝殿向拝(御本殿南面、御賽銭箱上部)にある蟇股(かえるまた)(2017年 4月 4日)


「三嶋大社本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門」。

(国・市指定建造物)

 三嶋大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(一一九二~一三三三)初期には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。

 一遍聖絵(いっぺんひじりえ)の社頭と現在のそれとではかなり異なり、消失記録を見ると、文永五年(一二六八)と永仁四年(一二九六)に焼け、また延享元年(一七四四)と安政元年(一八五四)の地震で倒壊している。


 今の社殿は万延元年(一八六〇)から明治二年(一八六九)にかけて再建されたものである。

 本殿は流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟(むね)には千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)をつけている。

 拝殿(はいでん)は入母屋造(上部を切妻屋根とし、下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、前面には三間の向拝をつけ、正面に千鳥破風(ちどりはふ)と軒唐破風(のきからはふ)がつく。

 両殿の間には軒下に納まるように相(あい)の間(ま)がつくられている。

 この建築の様式は権現造(ごんげんづくり)といわれる。

 全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ二三m、鬼瓦の高さ四mという豪壮なものである。

 彫刻は伊豆国名工小沢希道(おざわきどう)、駿河国名工後藤芳治良(ごとうよしじろう)がそれぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。

平成一六年三月
三島市教育委員会
三嶋大社の現地説明板(三嶋大社本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門)(2017年 4月 4日)

「元神宮斎主お手植の檜」。

明治天皇の第四皇女で神宮斎主北白川房子様が昭和三十年二月二十八日當大社御参拝の折お手植した檜である
三嶋大社の元神宮斎主お手植の檜(2017年 4月 4日)

それぞれ、「大楠社」、「天神社」、「聖神」、「第三社」、「幸神社」。
三嶋大社にて、鎮座する「大楠社」、「天神社」、「聖神」、「第三社」、「幸神社」(2017年 4月 4日)

「見目神社(みるめじんじゃ)」。

 若宮神社と同じく御本社と最も関係の深い社で摂社と言う

 御祭神は三嶋大神の后神六柱を祀る

 昔は御本社大祭の前々日幕府より奉献の玉簾を在庁(将軍の代理)が奉持し此の社前で検分の上神主に渡す儀式が行われた。

慶応四年九月三日再建
三嶋大社にて、鎮座する見目神社(みるめじんじゃ)(2017年 4月 4日)

「若宮神社(わかみやじんじゃ)」。

 古くは八幡宮・若宮八幡宮又は若宮社等と呼ばれた

 御祭神は物忌奈乃命(三嶋大神の御子神)・誉田別命(応神天皇)・神功皇后・妃大神を祀る社である

 例祭は八月十五日で御本社大祭の前日に行われる。

慶応四年八月二十日再建
三嶋大社にて、鎮座する若宮神社(わかみやじんじゃ)(2017年 4月 4日)

「伊豆魂神社(いづたまじんじゃ)」。

祭神
伊豆国出身で、西南の役、日清日露戦争以来、大東亜戦争に至る数次の戦役により、祖国守護の大任を担い、身命を国家に捧げ、国難に殉ぜられた英霊を奉祀す
三嶋大社にて、鎮座する伊豆魂神社(いづたまじんじゃ)(2017年 4月 4日)

「芭蕉句碑」。

どむみりと
棟や
雨の
花曇り

 「棟」とは【せんだん】の事で、元禄七年(一六九四)五月十四日、三嶋明神に参詣した芭蕉は、雨空に神池の辺りせんだんの花の群を仰いで、江戸に残してきた病床の妻「すて」の身を案じて詠んだ句である
三嶋大社の芭蕉句碑(どむみりと棟や雨の花曇り)(2017年 4月 4日)

こちらは「神鹿園(しんろくえん)」です。

神の使いとも言われることがある「鹿」ですが、この時の「神鹿様」は、スロ~ライフな時間を過ごしていました。

すると、ちょうど帰り際に、「神鹿様」がご飯タイムに入って、草を一生懸命に食べる姿。しげしげと見つめています。
三嶋大社の神鹿園(しんろくえん)(2017年 4月 4日)


それから、三嶋大社は地元の「桜名所」としても親しまれています。

ここから5つ。桜のある風景をお伝えします。

境内の桜風景 ☆part1☆
三嶋大社の南側正面鳥居付近の桜(2015年4月6日)


境内の桜風景 ☆part2☆
三嶋大社の桜を近寄って眺めた様子(2015年4月6日)


境内の桜風景 ☆part3☆
三嶋大社の境内の桜景色(2015年4月6日)


境内の桜風景 ☆part4☆
三嶋大社の桜景色(2015年4月6日)


境内の桜風景 ☆part5☆
三嶋大社の散り気味の桜景色(2015年4月6日)


源頼朝は戦勝祈願の為、三嶋大神を拝(おが)んだといいます。

大社の境内地という神聖な場所でもあります。
節度ある行動をお願いします。