千本からの富士山【沼津市】


富士山ビュー:千本からの富士山(2014年12月27日)

富士山ビュー:千本からの富士山ビュー(雪無し)(2015年11月6日)

観光名所
又は、
スポット名
沼津千本から富士山
地域 静岡県 東部地方
住所 静岡県沼津市千本浜海岸の堤防沿い
入場料 無料
トイレ 有り
駐車場 有り
交通アクセス 千本浜公園バス停留所( 東海バスオレンジシャトル
※記載情報が古い場合がございます。予めご了承ください。

一口メモ
・「日本の白砂青松100選」に選ばれ、若山牧水も愛した千本松原。散歩したり、ジョギングしたり、海を眺めたりと、憩いの場所的スポットです。

静岡県沼津市の位置図
Google map

静岡県沼津市にある千本浜堤防から眺めた富士山風景をお伝えしています。

千本松原は、(静岡県沼津市)狩野川河口~(富士市)田子の浦港までの間(約10km)にわたり、富士海岸に沿って続いている松原です。

千本という名が付いていますが、実際にはそれ以上にたくさんの松があるようで、その数は20万本とも30万本とも云われています。

ちなみに「千本松原」、この名の由来は、
     ↓
遡ること、時は戦国時代。
元々は防潮や防風のために農民が植えたと伝わる松林が、当時の戦乱情勢によって伐採されてしまいました。
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これにより、風害や塩害に見舞われた周辺農作物が、甚大な被害を受けてしまいます。
     ↓
この状況に心を痛めた増誉上人が、松林を復活させようと(潮風を受けては枯れてしまう)松を植え続けました。
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そして、歳月をかけ、苦労の末に千本の松を植え根付かせたことが、千本松原の由来だと伝わります。

松林というと、防潮林(ぼうちょうりん)や防風林としての役割を果たしている存在ですが、沼津市にある千本松原は、富士山を望むビュースポットにもなっています。

また、沼津の千本松原は、数々の文人に愛された地でもあります。

各地に歌碑が残る日本を代表する国民的歌人「若山牧水(わかやま ぼくすい)」もその一人で、千本松原の景観に魅せられ一家で沼津の地に移住しています。

お酒と旅、それから、自然をこよなく愛した歌人として知られている若山牧水ですが、大正15年には、県の千本松原伐採計画に対し、その先頭に立って伐採計画の反対運動を行い、計画を断念させるために奔走しています。

また、沼津市にゆかりある歌人「若山牧水」をしのび、沼津牧水祭が例年開催されています。
(参考Webページ)若山牧水|沼津市(https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/hito/bungaku/bungaku2.htm)


それではここからは、すぐ隣りにある「千本浜公園」の風景をお伝えしていきます。

海岸近くでは、よく松林を見かけますよね。
これは、松の木が、海からの塩風に対して適応力が有り、また、しなやかで、強風に対しても適応しやすい性質があるためだといわれ、その為に、防潮林(防風林)などの目的としても植えられているようです。
千本浜公園案内図(2016年3月30日)


こちらは、園内遊歩道の風景です。

平坦なので、歩きやすい道のりです。

園内遊歩道の風景 ☆part1☆
千本浜公園の園内遊歩道(2016年3月30日)


園内遊歩道の風景 ☆part2☆
千本浜公園の広場(2016年3月30日)


「幾山河 こえさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく 」

沼津の地で、家族と共に晩年を過ごした歌人「若山牧水」、千本松原の景観に魅せられて、この松原に近い地に、当時、住まいを構えたといいます。

(↓こちらは、現地説明板より)

 歌人若山牧水(本名 繁)は、明治十八年(一八八五)宮崎県に生まれた、旧制延岡中学校時代から短歌に親しみ、早稲田大学在学中に中國路を旅し、この「幾山河」の歌を作った。

 二十四歳のときに出版した歌集「別離」が歌壇に認められ一躍世に出た牧水は、大正九年(一九二〇)夏、一家を挙げて沼津に移住した。

 その後、千本松原の景観に魅せられ、この松原にほど近い地に新居を構えた。

 旅と自然に親しみ、酒をこよなく愛した牧水は調べの美しい多くの名歌を残し、昭和三年(一九二八)九月十七日四十三歳で永眠した。

 墓所は、この近くの千本山乗雲寺にある。

 この歌碑は、全国で最初の牧水歌碑として昭和四年七月に建設された。

沼津市
千本浜公園の「幾山河 こえさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく 」 沼津の地で、家族と共に晩年を過ごした歌人「若山牧水」、千本松原の景観に魅せられて、この松原に近い地に、当時、住まいを構えたといいます。 (こちらは、現地説明板より)  歌人若山牧水(本名 繁)は、明治十八年(一八八五)宮崎県に生まれた、旧制延岡中学校時代から短歌に親しみ、早稲田大学在学中に中國路を旅し、この「幾山河」の歌を作った。  二十四歳のときに出版した歌集「別離」が歌壇に認められ一躍世に出た牧水は、大正九年(一九二〇)夏、一家を挙げて沼津に移住した。   その後、千本松原の景観に魅せられ、この松原にほど近い地に新居を構えた。  旅と自然に親しみ、酒をこよなく愛した牧水は調べの美しい多くの名歌を残し、昭和三年(一九二八)九月十七日四十三歳で永眠した。  墓所は、この近くの千本山乗雲寺にある。  この歌碑は、全国で最初の牧水歌碑として昭和四年七月に建設された。(2016年3月30日)


転校し、沼津の地で中学時代を過ごした小説家「井上靖(いのうえ やすし)」が、小説を書くことに関心を持ったのは、この頃だとも云われます。

もしも、井上文学のスタートの地が静岡県だったとしたら、県民としては誇らしいかぎりです。
ちなみに、井上靖は、沼津市の名誉市民にもなっています。
千本浜公園に立つ井上靖文学碑について(2016年3月30日)


この子のかわいさ
「坊やはよい子だ
 ねんねしな
 この子のかわいさ
 限りなさ
 天にのぼれば星の数
 七里ヶ浜では砂の数
 山では木の数
 萱の数
 沼津へ下れば千本松
 千本松原小松原
 松葉の数より
 まだかわい
 ねんねんころりよ
 おころりよ」

「坊や~、良い子だ、ねんねしな~」のフレーズ、祖母がよ~く口ずさんでいた幼い頃の記憶が蘇って来ました。

この歌には、とても親しみを感じます。
千本浜公園の「この子のかわいさ「坊やはよい子だ ねんねしな この子のかわいさ 限りなさ 天にのぼれば星の数 七里ヶ浜では砂の数 山では木の数 萱の数 沼津へ下れば千本松 千本松原小松原 松葉の数より まだかわい ねんねんころりよ おころりよ」歌碑(2016年3月30日)


こちらは、千本浜公園のその他風景を集めています。

ちなみに、左上の像が「増誉上人」です。
(千本浜公園に立つ)左上の像が「増誉上人」(2016年3月30日)


千本松原は「日本の白砂青松100選」にも選ばれています。

白砂青松(はくしゃせいしょう)とは、白い砂浜と青い松林の風景のたとえです。

「ゴミなどがあると悲しくなります。かけがえのない大切な千本浜の自然環境。みんなで守っていきましょう」

ちなみに、白砂青松と呼ばれる景観は、諸事情(※1)により減少傾向にあるようです。
(※1)諸事情(砂防やダム工事、海面の埋め立てや防潮堤の整備や消波ブロック設置など)