柿崎弁天島【下田市】
観光名所 又は、 スポット名 |
柿崎弁天島 (かきさきべんてんじま) |
地域 | 静岡県 伊豆地方 |
住所 | 静岡県下田市柿崎27−20付近 |
入園料 | 無料 |
トイレ | 不明 |
駐車場 | 有り |
交通アクセス | 柿崎弁天島 | 南から来た火山の贈りもの 伊豆半島ジオパーク |
一口メモ
・今回お伝えしている弁天島は、下田市柿崎地区の沖にあり、「柿崎弁天島」とも呼ばれています。
(参考Webページ)踏海の企の地!弁天島|下田市観光協会(https://www.shimoda-city.info/post/20230213)
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弁天島と「島」の名がついていますが、陸と続いて(繋がって)います。
(「島」の名がついている。)というのも、かつては湾内に浮かぶ「島」だったようです。
がしかし、時は流れ現在は、防波堤によって接続され(そして、道路が通じて、)地続きになっています。
それからもう一つ。
結果的に、ペリーとの面会は叶わなかったのですが、黒船に密航するため(下田へやって来た)吉田松陰と金子重之輔が、こちら(下田の)弁天島のお社(やしろ)に身を潜めたと云われています。
江戸時代後期(幕末)のこの出来事から、下田市では弁天島を「吉田松陰 踏海の企跡」として史跡に指定(昭和51(1976)年)しています。
また、こちら弁天島公園には「踏海の朝」(吉田松陰と金子重輔)像が設置されています。
今回お伝えしている弁天島は、下田市柿崎地区の沖にあり、「柿崎弁天島」とも呼ばれています。
(2021年 3月12日)
では、まずはじめに「下田龍神宮」へと向かって歩き出しています。
(2021年 3月12日)
こちらは、御由緒板です。
「この龍神宮は、観光の発展、海上の安全、家内安全はもとより福縁の神として、あらたかなる龍神であります(一部抜粋しました)」
(2021年 3月12日)
それでは、参拝をしています。
(吉田松陰と金子重之輔の御両者も当時、参拝をしたのでしょうか)
(2021年 3月12日)
続いては「弁天島の斜交層理(しゃこうそうり)」です。
(下記(↓)は現地説明板より抜粋)
「弁天島周辺で見られる縞々の地層は、数百万年前に海底火山から噴出した火山灰や軽石が波や海流によって運ばれてできた地層です。こうした地層が地殻変動により隆起して地表に現れ波で削られた場所が弁天島です。斜めに交差する縞模様は斜交層理(しゃこうそうり)と呼ばれます」
(2021年 3月12日)
斜交層理は、はるか太古の海流の向きや水深を推定するヒントになる。とのことです。
(2021年 3月12日)
ここから5つは、芝生広場側をお伝えしていきます。
(2021年 3月12日)
日陰になる箇所がなく夏は暑いのですが、ベンチに腰掛けてのヒトトキも良さそうです。
(2021年 3月12日)
(吉田松陰先生は当時、どんな気持ちで海を眺めていたのでしょうか)
(2021年 3月12日)
続いては芝生広場です。
(2021年 3月12日)
こちら芝生広場側には吉田松陰と金子重輔の「踏海の朝」像が設置されています。
(2021年 3月12日)
そして再度、芝生広場をお伝えします。(2021年 3月12日)
弁天島の斜交層理は、太古の歴史を今に伝えています。
場所によっては、「崖の一部がもろくなっていますので落石にご注意下さい」とのことでした。